勝光寺山門入口の供養塔は一体何でしょうか?<巳待塔>(みまちとう)と云います。

己巳の日(つちのとみのひ)や己待(みまち)とは何・・? 中国と日本の歴史からの伝承です。少し難しいですが解りやすく「さわやか」解説します。

五行(ごぎょう)という古代中国の思想で宇宙の万有を構成する五つの元素「木・火・土・金・水」(もく・か・ど・ごん・すい)」をさらに陰と陽に分け、甲、乙~癸で表した十干(じっかん)に結び付け、10日単位の暦とします。十干と動物で表した十二支(じゅうにし)を順番に組み合わせて干支(えと)とし、年・月・日・時刻・方向(方角)などに当てて用います。干支は61番目に最初の干支に戻ります。すなわち還暦(還暦)です。甲子(きのえ ね)は干支の初めの日であることから吉日として願い事をする風習があります。己巳(つちのと み)や辛巳(かのと み)など、現在もこだわりが伝わっています。

勝光寺の供養塔には「天保六年(1835)造立 願主 山口御氷川 糟谷」とあり、供養塔には様々な願いが込められていることが解ります。上部に雲上の弁財天や宝珠像など、台座に人面蛇見像という巳(蛇)がいます。白蛇は神の使いとも云われています。観音菩薩を主尊とした「己待供養延命像」を刻まれたものがあり、地域の繁栄を願ったものと推察できます。昔この地域(山口・小手指・北野・宮寺・三ケ島・藤沢)は、かいこの産地で織物の繁栄を願ったのではないでしょうか。方位方向道案内など秩父・坂東・四国など行商(ぎょうしょう)人の安全、繁栄も願っていたことが解ります。(坂東とは武蔵のことです。)

他にも、埼玉県寄居町鉢形良秀寺参道にある元文二年(1737)造立の巳待塔や横浜薬王院にある享保六年(1721)造立の巳待供養地蔵などがあります。供養塔の歴史は関東・東北地方に多く見られ地域によって特徴があり、巳や己(蛇身)に天女や菩薩、左手に宝珠、右手に剣を持ち頭上に鳥居を飾る彫もあります。

文化歴史

勝光寺供養塔・・・                      巳待塔の上部を拡大                    池の古代蓮

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山口「勝光寺」の見所巳待塔(みまちとう)の云われ 願う心・・ 
⑤‐3

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<巳待塔>

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