みどりと水鳥の里 山口まちづくり推進協議会

  武蔵野台地のほぼ中央に位置する狭山丘陵は湧水地点があることにより過去から集落が形成されてきました。浸食谷の柳瀬川流域に位置する山口城周囲の地形は丘陵、台地、低地といった生活に必要な条件を満たし、馬の放牧地や耕作地としても柳瀬川流域を利用できることから城館を守備する上で好条件の立地であったと考えられます。
 山口氏の祖を遡ると、武蔵国衛という役職権力を持った頼任(よりとう)は、村山を根拠地にして京に戻らず居住して、子の「頼家」を村山貫主、在庁官人・国侍(くにざむらい)地域有力者とし、1140年頃山口七郎「家継」、山口に移住開発領主となって六郎「家俊」、十郎「高家」 「久米氏」 「荒波多氏」 「金子氏」 「宮寺氏」 と血縁武士集団を築きました。
  村山党は狭山丘陵を本拠地として勢力を延していきました。平安末期の武蔵武士団のひとつ山口氏は村山党の一族で山口に居住して城館を構え、平安後期から鎌倉時代、南北朝、室町、戦国時代まで活躍が続き450年にわたる歴史をもっています。相模の平氏、秩父平氏、平良文、平将門、伊勢平氏、北条市、その後南北朝、室町、戦国時代まで活躍が及びました。

 次回は鎌倉時代から戦国時代の山口を始め周辺の様子についてお伝えします。

 

関係機関リンク

http://www.suisin.org/
土塁(現在残されている物)
山口城跡の範囲(市発掘調査より)

シリーズ34 行って見よう 
        
山口の自然と歴史 
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第1日曜日、第3土曜日、第2、第4木曜日 (平成29年4月変更になりました。)



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      山口城跡(やまぐちじょうあと) その2