皆さんよくご存じの地元、堀之内にある勝光寺も戦乱に遭っていたことを知っていましたか? 境内の掲示によれば寺の歴史は古く弘安四年(1281)、鎌倉建長寺の第一世石門和尚が開山し、北条時宗公を開基として戦没者供養のため創建されました。しかし元弘の乱や度重なる戦乱で兵馬・巷(ちまた)に分かれるところとなり、お堂などことごとく灰となってしまいました。正平十一年(1357)に諸堂が再建されましたが、永正年間(1504~1521)に再び火災に遭い衰退してしまいました。元亀三年(1572)住持が没したのを期に、天正十九年(1591)京都より円覚寺派の僧「慶叟」(けいそう)和尚が来山入寺し、徳川家康公より寺領周り20石を賜りました。
見所が多いので数回に分け紹介します、お楽しみに!
山門の眺望。造立は文政六年(1823)
緑と水鳥の里 山口推進協議会
シリーズ(66) 行って見よう 山口の自然と歴史
山口の「勝光寺」廻りも元弘の乱や度々戦乱に遭いました⑤‐1
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除夜の鐘、新年を迎える時など思い出します。鐘の音に秘められた想いは色々ありますね。
「山川草木みな佛 ぞと 告げ わたるこの鐘 の 声 シャカムニ(釈迦牟尼)の声」 梵鐘の碑に刻まれた「臨済宗円覚寺派管長」朝比奈宗源書 (転写によるもの)
現在立派な山門や鐘楼本堂など県道からも見えます。寺と地域住民が一体となり築き上げたものです。歴史的文化財建造物を大切に。
お地蔵様
境内から
県道側から